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美浜町の主な文化財

記事ID:0000461 更新日:2021年1月4日更新 印刷ページ表示

 

美浜町に所在する指定文化財をご紹介します

 

 

史跡・名勝・天然記念物

 

《国指定史跡》

興道寺廃寺跡 (興道寺 平成30年2月13日指定)

 美浜町興道寺に所在する古代仏教寺院の遺跡です。7世紀後半に建立され、8世紀後半以後に再建された後、10世紀初頭には廃絶したことがこれまでの発掘調査でわかりました。建物基壇の周囲からは多くの瓦が出土し、現在、美浜町歴史文化館で展示されています。

 

 

《町指定史跡》

国吉城址 (佐柿 昭和58年4月1日指定)

 標高197mの城山に所在します。若狭武田氏の重臣、粟屋越中守勝久が城主の頃、永禄6年から数年に及ぶ越前朝倉氏の攻撃に若狭国の境目の城として撃退し続けました。その様子は軍記『国吉籠城記』諸本により伝わります。近年の調査では石垣や門跡、礎石建物などが確認されています。

 

 

《町指定史跡》

口背湖遺跡 (久々子 昭和59年2月1日指定)

 久々子湖を望む段丘上に所在します。発掘調査によって古墳時代初頭の竪穴住居址2棟が確認され、地元で作られた土器に加えて、近江や近畿、東海などからもたらされた外来系の土器が出土しました。

 

 

《町指定史跡》

乙見古墳 (北田 昭和58年4月1日指定)

 乙見谷に所在する円墳で、横穴式石室の天井石などが露出しています。大きな石材を用いた石室で、7世紀前半の古墳と考えられます。

 

 

《町指定史跡》

獅子塚古墳 (郷市 令和2年3月27日指定)

 6世紀前半に造られた全長32.5mの前方後円墳で、横穴式石室から須恵器、馬具、武器、武具、装身具など多くの副葬品が出土しています。角杯形須恵器や北部九州系横穴式石室など外来文化が色濃く残る古墳です。

 

 

《国指定名勝》

三方五湖 (昭和12年6月12日指定)

 三方五湖は福井県三方郡の北西部にあり、四季を通じて景観の優れた名勝です。五湖とは、美浜町域の日向湖、久々子湖、三方町域の三方湖、水月湖、菅湖からなり、五湖周辺と常神半島一帯は国の名勝地に指定されています。

 

 

《国指定天然記念物》

ニホンカモシカ (昭和30年2月15日指定)

 低山帯から高山帯の森林に棲息するウシ科の動物で、美浜町では新庄から敦賀半島にかけての山岳地で見られます。ニホンジカと違って雌雄ともに角を持ち、角は生え変わりません。

 

 

《町指定天然記念物》

イチョウ (佐柿 昭和59年2月1日指定)

 佐柿青蓮寺の境内にあり、高さ30m以上、幹の太さ3.8m以上の巨木です。江戸時代の前半、小浜藩二代藩主酒井忠直公自らが植えたと伝えられています。

 

 

伝統芸能

 

《国選択無形民俗文化財》

水中綱引き (日向 昭和55年12月12日選定)

 毎年1月第3日曜日に行われる水中綱引きは、その昔、日本海と日向湖を結ぶ日向運河に現れ、船の往来を妨害した大蛇を退治するために始められたという伝承があります。若者20人あまりが寒中、日向橋から日向運河に飛び込み、藁綱を引き合い、二つに切り、外海に送り出して海の神に捧げる勇壮な神事です。疾病を鎮め、豊漁を願う神事として現在まで続けられ、国の選択無形民俗文化財となっています。

 

 

《国選択無形民俗文化財》

福井の戸祝いとキツネガリ (北田・坂尻・中寺・佐野・新庄 平成31年3月28日選定)

 戸祝い、キツネガリは子供たちが家々を訪れ、祝い棒で戸口や地面を叩き、祝い唄を歌うことで新年を祝い、子供たちはお礼をもらう正月行事で、ガリアイやカイラホなどと言われています。美浜町では北田、坂尻、中寺、佐野、新庄で行われ、若狭地方一円の戸祝い、キツネガリ行事が国の選択無形民俗文化財になっています。

 

 

《県指定無形民俗文化財・町指定無形民俗文化財》

弥美神社例大祭と王の舞

(宮代 例大祭 平成10年7月13日 町指定、王の舞 昭和31年3月12日 県指定)

 弥美神社では毎年5月1日に五穀豊穣を願う例大祭(町指定無形民俗文化財)が行われます。氏子集落すべてによる幣迎え、その後、幣押し、さらに鳳凰の冠をつけ優雅に舞う王の舞(県指定無形民俗文化財)、荒々しく舞われる獅子舞と奉納されます。なお、若狭町宇波西神社の王の舞神事は、国選択無形民俗文化財となっています。

 

 

《県指定無形民俗文化財》

精霊船送り(菅浜 昭和61年3月28日指定)

 毎年8月15日夕方、菅浜海岸から萱、麦藁、竹で作られた全長8mほどの船「精来丸」を沖まで曳き、帆を上げて放します。新仏の家の者が乗り込み、故人を浄土へ送る盂蘭盆の行事です。8月16日には美浜町和田海岸でも同様の行事が行われています。

 

 

《町指定無形民俗文化財》

子ども歌舞伎 (早瀬 平成9年6月4日指定)

 毎年5月5日、山王宮の祭礼で子ども歌舞伎が行われます。安政4年、疾病の流行を鎮める祈願として日吉神社に子ども歌舞伎を奉納したことが始まりです。集落内を練り歩きながら、曳山(山車)の上で小学校の男子が寿式三番叟を演じます。

 

 

《町指定無形民俗文化財》

浜祭り (早瀬 平成12年11月29日指定)

 毎年1月3日、村の邪悪を祓い、豊漁豊作を祈願するために行われます。3日早朝、神事を終えた代祝子が海岸で悪魔矢1本を若狭湾の空へ、祝矢2本は集落の空に放ち、3本の矢を射ちます。美浜町日向でも同様の神事が行われており、若狭湾岸の代表的な正月神事の一つです。

 

 

 

 

建築物

 

《国登録有形文化財》

旧田辺半太夫家住宅 (佐柿 平成30年3月27日登録)

 江戸時代後期(19世紀初頭頃)の建築。主屋部は、桁行6間半×梁間5間余、太い柱や梁は大庄屋を務めた豪農屋敷の様相を伝えています。佐柿町奉行所の一部を移築した座敷部は桁行4間余×梁間5間余、ベンガラ仕上げの赤壁を用いた書院造です。若狭国吉城歴史資料館として平成21年に移築再建されました。国登録有形文化財(建造物)になっています。

 

 

 

 

■古文書・考古資料等

 

《町指定有形文化財》

秀吉朱印状とくす女書状 (龍澤寺 昭和58年4月1日指定)

 朱印状は天正20年、龍澤寺再興に際して豊臣秀吉から差し出された書状です。また同年、京極くす女は秀吉に龍澤寺への寄進を願い出ています。龍澤寺には、秀吉による制札、また秀吉・くす女坐像が安置されるなど、豊臣秀吉ゆかりのお寺です。

 

 

《町指定有形文化財》

弥美川流域変遷幷水論記 (佐柿 昭和58年9月1日指定)

 江戸時代に武長道勝と武長道孝が耳川での水取り騒動を書き綴った古文書です。

 

 

《町指定有形文化財》

行方久兵衛文書(金山 昭和59年2月1日指定)

 江戸時代に小浜藩三方郡奉行の行方久兵衛が荒井用水などを記した古文書です。

 

 

《町指定有形文化財》

青磁浮牡丹皿(青蓮寺・若狭国吉城歴史資料館寄託 昭和59年2月1日指定)

 天正元年8月、織田信長が越前朝倉氏を攻め滅ぼした際、織田方として参陣した国吉城主粟屋勝久が一乗谷一番乗りを果たしました。その折に一乗谷から五百体愛染明王図等と共に持ち帰り、青蓮寺に寄進したものです。

 

 

 

《町指定有形文化財》

興道寺廃寺出土品(興道寺 平成23年9月1日指定)

 古代仏教寺院・興道寺廃寺からは多くの瓦とともに、安置仏の一部となる塑像螺髪や和同開珎などの銭貨、「耳」と墨書された土器が出土しています。塑像螺髪・銭貨・耳墨書土器が町有形文化財に指定されています。

 

 

 

 

彫刻・絵画・工芸

 

《国重要文化財》

観音菩薩立像(青蓮寺・福井県立若狭歴史博物館寄託 平成25年6月19日指定)

 青蓮寺の本尊である観音菩薩立像は、像高53cmの一木造の像です。頬がふくよかに張り、上唇を突き出す相好や大きな衣文と小さな衣文を繰り返す翻波式衣文が刻まれることなどから、造像は平安時代半ばと考えられます。現在美浜町内で知られる中では最古の仏像です。

 

 

《県指定有形文化財》

地蔵菩薩立像(久昌寺 平成7年4月21日指定)

 久昌寺に安置されている地蔵菩薩立像は、像高94cmの一木造の像です。檜材に薄鑿を横に用い、衣紋がさざ波のように美しく、彫技は中央的な要素も見られます。平安時代末期の作です。昔、弁当の飯を少しとってお供えしたお使いの娘が、主人にご飯を盗んだと火箸で叩かれた時、身代わりとして傷を負ってくれたとの縁起が残り、地元では金焼地蔵として親しまれています。

 

 

《町指定有形文化財》

阿弥陀如来坐像(法栄寺 平成4年2月1日指定)

 法栄寺阿弥陀堂に安置されている阿弥陀如来坐像は、像高87cmの寄木造の像です。若々しく明快な相好、体躯に十分な厚みを取り、力強い衣紋を刻む彫技は、鎌倉時代の特徴を示しています。

 

 

《町指定有形文化財》

阿弥陀如来坐像 (奥ノ堂 昭和59年2月1日指定)

 奥ノ堂(極楽堂、沖ノ堂)の本尊である阿弥陀如来坐像は、像高86cmの一木造の像です。平等院阿弥陀如来像を代表とする仏像の様式である定朝様の影響が認められますが、やや四角張った面長な顔立ちなど、古風な特徴も認められます。したがって定朝様の確立過程から確立間もない、11世紀前半から半ば頃の造像と考えられています。奥ノ堂には、毘沙門天立像、不動明王立像、薬師如来立像、聖観音立像(いずれも町指定有形文化財)も安置されています。

 

 

《県指定有形文化財》

・五百体愛染明王図

(青蓮寺・福井県立若狭歴史博物館寄託 平成24年3月23日指定)

 五百体愛染明王図は鎌倉時代末頃に製作されたと考えられ、画面いっぱいに1cmほどの愛染明王を500体描く、他に類のない作例です。青磁浮牡丹皿と同じく栗屋勝久が朝倉一乗谷攻めの際持ち帰り、青蓮寺に寄進したと伝わっています。

 

 

《町指定有形文化財》

涅槃図・不動明王図・十六善神図

(青蓮寺・福井県立若狭歴史博物館寄託 昭和59年2月1日指定)

青蓮寺には五百体愛染明王図以外にも、鎌倉時代末から南北朝時代の製作と思われる十六善神図や室町時代の製作とみられる涅槃図、不動明王図といった優れた仏画が多く伝わっています。

 

 

《町指定有形文化財》

十六善神図・涅槃図・開山夢窓国師九条麻袈裟 (長久寺 昭和59年2月1日指定)

 十六善神図は南北朝時代から室町時代の製作、涅槃図は鎌倉時代の製作と考えられています。九条袈裟が納められている木箱には、南北朝時代に活躍し天龍寺を開山した、臨済宗の僧、夢窓疎石の袈裟であることが記されます。

 

 

《町指定有形文化財》

十一面観音菩薩立像 (水生寺 昭和58年4月1日指定)

 水生寺の本尊として、厨子内に安置される十一面観音菩薩立像は像高99cm、寄木造の像です。面長で目鼻が大きく印象的な相好や装飾的な頭髪から、定朝を祖とする仏師の系譜である院派に属した、南北朝時代の仏師が造像を担当したと考えられています。また水生寺の開基は源頼政と伝えられています。

 

 

《町指定有形文化財》

雨宝童子立像 (園林寺 昭和58年4月1日指定)

 園林寺の大日堂に秘仏として祀られる雨宝童子立像は像高75cmの寄木造で、能面のような相好や深くうつむく姿勢などから、室町時代後期から安土桃山時代に造像されたと考えられています。雨宝童子は天照大神が下生した姿とも大日如来の化身ともいわれます。

 

 

《町指定有形文化財》

薬師如来坐像 (北田薬師寺 昭和58年4月1日指定)

 北田区の薬師堂に本尊として安置される、薬師如来坐像は像高88cmの一木造も像です。その姿は定朝様を踏襲しており、平安時代末期に造像されたと考えられています。薬師堂は行基によって開かれたことが縁起として伝わっています。

 

 

《町指定有形文化財》

薬師如来坐像・十一面千手観音立像 (観音寺 昭和58年8月1日指定)

 観音寺に本尊として安置されている薬師如来坐像は、平安時代後半に造像されたと考えられています。像高は139cmで、美浜町内の中世以前に造像された像としては最大級の大きさです。また、薬師如来坐像の右脇に安置されている十一面千手観音立像も像高177cmと比較的大ぶりな仏像であり、造像は鎌倉時代とも考えられています。

 

 

《町指定有形文化財》

薬師如来坐像 (久音寺 昭和59年4月1日指定)

 久音寺に安置されている薬師如来坐像は、従来瑠璃寺の本尊でした。像高は27cmであり、像内の銘文より元亀元年(1570)に造像されたことが判明しています。また造像を担当した康俊は、運慶などの名だたる仏師を輩出した慶派の仏師であった可能性が指摘されています。


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