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町史跡 国吉城址 【続日本100名城 No.139】
町史跡 国吉城址のご紹介
歴史
国吉城は、弘治2年(1556)に若狭国守護武田氏の重臣、粟屋越中守勝久が、築いたと伝わります。若狭国と越前国の境を守備する「境目の城」でした。
永禄6年(1563)、越前朝倉氏の軍勢が侵攻し、国吉城を攻めました。勝久は、周辺の地侍や民衆と共に城に籠ってこれを撃退し、以降、朝倉氏が滅亡する天正元年(1573)まで、ほぼ毎年攻めかかる朝倉勢を撃退し続け、「難攻不落」を誇りました。朝倉氏との激しい戦いの様子は、江戸時代に記された軍記『国吉籠城記』によって知ることが出来ます。
元亀元年(1570)4月、朝倉攻めに向かう織田信長の軍勢に加わり、後に天下統一を果たす三英傑(信長、豊臣秀吉、徳川家康)が揃って入城し、国吉城から最初の越前攻めに向かいました。
天正11年(1583)、豊臣秀吉の家臣、木村常陸介定光が城主となり、国吉城を石垣造りの城に改修したほか、城下町の整備を行い、今に残る佐柿の歴史的町並みの基礎を造りました。江戸時代初めに城が廃城となって以降は、佐柿町奉行所が置かれ、佐柿城下は丹後街道の宿場として繁栄しました。幕末には、敦賀で処刑された水戸浪士の生き残りが収容されました(准藩士屋敷)。
続日本100名城
平成29年4月6日(木曜日)、公益財団法人日本城郭協会が選定した『続日本100名城』に選ばれました!(No.139 佐柿国吉城)
続日本100名城は、平成18年に制定された日本100名城に続くものとして、日本100名城と全く同じ基準を満たし、同じ価値を有しながら、100名城に収まりきれなかった城郭から、学術経験者をはじめ、協会会員、一般の城郭ファン等を対象に意見を集約し、選考されました。
国吉城は、遺構の残存度、歴史的背景、発掘調査へ成果、若狭国吉城歴史資料館の開館や地元佐柿区の取り組みなど、史跡の保存と活用の面で、選出に携わった多くの方々から、先行する日本100名城と同等の歴史遺産として高い評価を受けたことになります。
美浜町では、ますます多くの方々に国吉城を知ってもらい、お越しいただけますよう、町内には身近な郷土の歴史遺産が全国区の評価を受けたことを、県内には一乗谷朝倉氏遺跡や丸岡城に続く戦国遺産があることを、そして全国には「美し美浜」の歴史的魅力の一面を、今後も広くPRして参ります。
続日本100名城スタンプラリー
平成30年4月6日(金曜日)よりスタート!
スタンプは、若狭国吉城歴史資料館に設置しています。受付でお声掛けください。
※対応時間:資料館開館日(4月~11月:9時00分~17時00分、12月~3月:10時00分~16時30分)は館内、休館日は正面玄関横に押印台があります。
関連書類
※ダウンロードします。(関連書類をご覧になるには)
- 『国吉城址と佐柿の町並み』パンフレット[PDFファイル/15MB]
- 『若越戦国めぐり』パンフレット[PDFファイル/433KB]
- 『難攻不落 若狭国佐柿国吉城』チラシ(表)[PDFファイル/969KB]
- 『難攻不落 若狭国佐柿国吉城』チラシ(裏)[PDFファイル/983KB]
- 『続日本100名城に選ばれました』チラシ[PDFファイル/817KB]
関連リンク
公益財団法人日本城郭協会発表『続日本100名城』<外部リンク>