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美浜と軽井沢の不思議なご縁~三笠ホテルと創業者・山本直良~
2024年春、北陸新幹線敦賀延伸~軽井沢とのご縁~
2024年春、北陸新幹線が敦賀まで延伸されます。福井県内と首都圏の間の移動は、これまで東海道新幹線と特急列車を利用する必要がありました。しかし、北陸新幹線の開業により、これまで移動に長時間を要した甲信越や北関東へのアクセスが便利になります。
福井県ではこれを見据え、令和4年3月に沿線の軽井沢町と観光や文化などあらゆる分野での相互発展を目指した連携協定を結びました。高級リゾート地・軽井沢にある別荘の所有者は多くが東京在住者であり、県では東京との結びつきが強い軽井沢を通じて首都圏へのPRを進めています。
そんな軽井沢と美浜町には不思議なご縁があります。
軽井沢のシンボル・三笠ホテル~歴史のご縁(1)~
軽井沢は、江戸時代まで中山道の宿場町として繁栄しました。明治時代になると一時衰退しますが、明治中期から外国人が軽井沢の自然を好んで保養に訪れ出すと、別荘の建設が盛んになりました。やがて日本の政財界からも軽井沢に訪れ始めると、それまでの旅籠屋に替わって洋風のホテルが建設され出すと、高潔さと華やかさを合わせた国際的な避暑地として発展します。それに大きく貢献したのが三笠ホテルです。
三笠ホテルはすべて日本人によって建設された純洋風の木造ホテルで、明治38年(1905)に竣工、翌年開業しました。戦中・戦後は一時中断されましたが、昭和45年(1970)まで営業が続きました。建物の改造が少なく、創業当時の面影をよく遺していることから、昭和55年に国の重要文化財に指定され、昔も今も軽井沢のシンボルとして多くの避暑客を迎えています。
当初宿泊者の多くは外国人でしたが、やがて桂太郎や西園寺公望、渋沢栄一、有島武郎など日本の政財界人や文化人も訪れ出したことから、同ホテルは「軽井沢の鹿鳴館」と謳われました。当時、軽井沢での過ごし方は別荘滞在が主流でしたが、三笠ホテルの開業によってホテル滞在という新たな過ごし方が提案されたのです。
旧三笠ホテル 明治38年(1905) 重要文化財(建造物) 写真提供:軽井沢町教育委員会
三笠ホテルの創業者・山本直良~美浜とのご縁~
軽井沢のシンボル・三笠ホテルを開業したのは、実業家の山本直良です。彼は佐柿が生んだ実業家・山本直成の次男で、直成の跡を継ぎました。彼は初め岩倉家に仕え、後に実業家として十五銀行や日本郵船、明治製糖(DM三井製糖ホールディングス)の役員を務めました。また、彼は軽井沢に25万坪の広大な土地を購入し、避暑地としての発展を見据えた開発事業を計画しました。その中心に位置づけられていたのが三笠ホテルの開業でした。このように軽井沢の近代化を推進したのは、美浜にゆかりのある実業家だったのです。
山本直良肖像写真 撮影年未詳 出典:国立国会図書館デジタルコレクション
福井県と軽井沢のつながり~歴史のご縁(2)~
実は、これ以外にも福井県と軽井沢は歴史的なつながりがあり、江戸時代には福井藩主が参勤交代で軽井沢に滞在したほか、明治時代には福井県出身の元海軍大佐・八田裕二郎が軽井沢における日本人初の別荘を建設しました。福井県と軽井沢町による連携協定は、こうした歴史への再注目がその背景にあったのです。
意外な歴史で結ばれていた美浜と軽井沢―日本有数の避暑地から美浜に関心が集まる日は近いのかもしれません。
関連書類
『美浜と軽井沢の不思議なご縁~三笠ホテルと創業者・山本直良~』 [PDFファイル/1003KB]